みなさんこんにちは。メンタリズムは友達、管理人のさがんです。
突然なのですが、実は私、このたび日本政府公認メンタリスト1級の資格を取りました。
……おや、信じてないですね? それでは本日は、わたくしの実力を皆さんにお見せいたします。私が一つ質問をしますので、皆さんはその答えを頭に思い浮かべてください。
「あなたの好きな恐竜パニック映画はなんですか?」
……ふむふむ、ほうほう……なるほど。
はい、分かりました。今あなたは「ジュラシック・パーク」もしくは「ジュラシック・ワールド」という作品名を思い浮かべましたね? ※シリーズ系列作品も含みます。
いかがでしょうか、これがメンタリズムです。
……おや、まだ信じてない? ではもう一問。
「あなたの好きなサメ映画はなんですか?」
……はい、分かりました。今あなたは「ジョーズ」という作品名を思い浮かべましたね?
……ん? 違う?
あぁ、失敬。「ディープ・ブルー」でした? それか、「ロスト・バケーション」もしくは「MEG ザ・モンスター」?
……え? それも違う?
は? 「シャークネード」? 「ロボシャーク」? 「デビル・シャーク」?
えぇ……お前おかしいよ……(ドン引き)
という茶番をね、したかったんだよ。
みなさん改めてこんにちは。管理人のさがんです。
開幕ゴミみたいな茶番から始まりましたが、今回のテーマは「サメ映画と恐竜映画」です。
と言うのもですね、私普段から甚だ疑問なんです。
なぜ、サメ映画はこれほどまでに勢いがあって大流行しているのに、恐竜パニック映画は盛り上がりがお通夜状態なのか。
いやだって、冷静に考えてみてくださいよ。恐竜ですよ恐竜。あの、年齢性別国籍問わず、老若男女全人類が大好きな恐竜。
それをテーマにした映画がですよ、なんでこれほどまでに少ないのか。
いや少ないならまだしも、なんで単なるちょっとデカいだけの軟骨魚であるサメ如きをテーマにした映画に完敗しているのか。
これが、これがずっと分からない。
私もそれなりにB級映画を観てきましたけれど、実は私、本来サメよりも恐竜の方が好きなんです。そりゃ、GEOに行って恐竜映画が並んでいたら、とりあえず借りるくらいには好きなんです。
でもなんで、私のサイトのレビュー数が、大好きな恐竜映画よりも、それほど好きでもないサメ映画の方が圧倒的に多いかと言うとですね、もう「恐竜映画自体が少なすぎるから」という理由に他ならんわけです。
いや、マジで恐竜映画少ないよ。なんでこんな少ないん?
と言うより、サメが多すぎるんだよ。なんでこんな多いんだよサメ。
――という、人間生きていれば必ず一度は疑問に思うようなことが、今回の記事のテーマとなっております。ここからは、なぜサメ映画はこれほどまでに流行り、逆になんで恐竜映画はこの惨状なのか、考えていきたいと思います。
第1章 現状確認〜サメと恐竜を取り巻く現在の環境について〜
では、まずは現状の確認から参りましょう。
これから、サメと恐竜の現状を比較していこうと思います。先に申し上げておきますが、これを見れば今の状況がいかに不可解であるか――すなわち、サメ如きが恐竜というかつての支配者に圧勝している現状がいかに不自然なことであるのかが、分かっていただけるかとと思います。
【サメと恐竜の比較】
サメ | 恐竜 | |
①外見 | 似通っている | 実に多種多様 |
②活動範囲 | 海だけ | 陸海空 |
③ファンの範囲 | 一部 | 老若男女 |
④代表作の興行収入 | ジョーズ(4.7億ドル) | ジュラシック・パーク(10.4億ドル) |
見てください、この恐竜側の圧勝っぷりを。
では、順番に簡単に解説していきます。
①外見
サメは、もちろん種類によって形や大きさは異なりはしますが、基本的な外見にそう違いはありません。サイズも、ジンベエザメやメガロドンの20メートル程度が限界です。
対して恐竜は、種によって実に多種多様な外見をしています。サイズも、人間の子供くらいのサイズのやつから、20メートルを軽々超える大型のものまで様々。
なんかちょっとした違いはあれど、基本海の中でうにうに泳いでるだけのちょっとデカい軟骨魚と、実に個性豊かで多種多様な恐竜。どちらが映画の題材として優れているか、お分かりですね?
なお、この項目に対して「いや、サメは数百メートル超のやつもいるんだが?」と思った人は、サメ映画の過剰接種の疑いがあります。サメ映画の接種のしすぎは、あなたの社会生活に深刻な実害を及ぼす可能性があり大変危険です。
②活動範囲
サメは魚類なので、当然活動範囲は海中に限られます。
対して恐竜は、陸上はもちろんのこと、翼竜、魚竜などのように、空中、海中で活動できる種もたくさんいます。完全に上位互換で草w
なお、この項目に対して「いや、サメは陸海空地底宇宙、全て行けるが?」と思ったあなたは、言うまでもなくサメ映画の過剰接種で間違いありません。サメ映画の過剰接種には、社会常識を狂わせる効果があるほか、強度の依存効果も報告されています。手遅れになる前に、禁鮫に取り組みましょう。
③ファンの範囲
近年、ネット上ではすっかり市民権を得た顔をしているサメ映画ですが、熱狂的に支持している層は極一部の変人――いや失礼、狂人だけです。
対して恐竜は、子供から大人まで幅広い人気があることは言うまでもありません。特に、子供の支持が熱いのが高ポイント。
未来を担う希望溢れる子供たちが大好きなコンテンツが、映画の題材として適していないわけがありません。サメさんボロ負けで草www
④代表作の興行収入
代表作の興行収入を見ても、その圧倒的な力の差は歴然です。サメ映画の代表作と言えば間違いなくジョーズですが、その興収は4.7億ドル。
一方、恐竜映画の元祖であるジュラシック・パークの興収は、なんと驚きの10.4億ドル。余裕のダブルスコア。
「いや、そんな昔の作品の話をされてもな……w」と思われた方のために、近年の作品同士でも比べましょう。
近年サメ映画界を震撼させた、ステイサム×サメという超大作サメ映画「MEG ザ・モンスター」の興収は、なんとびっくり5.3億ドルもあります。なんとジョーズ超えの快挙!
なお、ジュラシック・ワールドの興収は16.7億ドルの模様。
これが王者の風格。サメさん(笑)
これらの比較結果から、サメなどは恐竜の足元にも及ばない、という事実がよく分かって頂けたかと思います。
第2章 どう考えても恐竜の圧勝。しかし作品数は……
サメが恐竜にあらゆる面で劣っていることは周知の事実ではありますが、そんなサメが恐竜に唯一優っている点があることは白状せねばなりません。
それは、『パニック映画の作品数』です。
ご存じのとおり、サメ映画は目覚ましい勢いで拡大を遂げており、かなりの作品数がリリースされています。現在、日本においてその数は100本を優に超えており、それでいて毎年何本も新作がリリースされている現状。しかもリリースされるのは、なにも低予算映画ばかりではなく、「ロスト・バケーション」や「MEG ザ・モンスター」のような大作映画もちらほらと見られる、という躍進っぷり。
一方、恐竜パニック映画は、新作が細々とリリースされ続けてはいるものの、話題に上がることはほぼありません。また、お世辞にも出来がいい作品が多いとも言えない現状です。また、先ほど代表作の興収を比較しましたが、サメ映画は「ジョーズ」「ロスト・バケーション」「MEG」など大作映画が多い一方、恐竜パニックの大作映画と言うと「ジュラシック・パーク」シリーズしかありません。断言できます。これしかない。
もちろん、①恐竜「も」出る映画だとか、②子供向けの恐竜映画(ドラえもん、ディズニー作品等)という方向に解釈を広げればそれなりに大作もあるんですが、①前者は純粋な恐竜映画とは言い難く、②後者は「面白いかどうかはさておき、見たいのはそういうのじゃないんだよなぁ……」となるため、やはり純粋な恐竜パニック映画はジュラパシリーズしかないという寂しい現状です。
なぜ、恐竜映画はこれほどまでに、サメ映画に圧倒的な差をつけられてしまっているのか。
この謎を解き明かすため、次章ではまず、そもそもなぜ、サメ映画はこれほどまでに普及しているのか、という話から始めたいと思います。
第3章 なぜ、サメ映画はこれほどまでに人気なのか
そもそもなぜ、サメ映画はこれほどまでに人気があるのか。作り手側、受け手側双方の立場から、その理由を確認しましょう。
【作り手側の視点】
- 低予算で作りやすい
まず何と言っても、これ。モンスターパニック映画というと多種多様なジャンルが存在しますが、その中でも群を抜いて低予算で作品を成立させやすいものが、ゾンビとサメの2強ではないかと思います。その理由は単純で、まずゾンビの方は、CGとか使わなくても、役者とメイクさえいればなんとでもなるから。対してサメの場合は、出番を減らす工夫がいくらでも出来る(=CG使う手間を極限まで減らせる)からです。つまりどっちも、安く上がる。
一部のサメを除き、サメは主戦場が海です。海ということは、海面を映している限り、ヒレさえ映しておけばその存在感のアピールには充分。また、人が襲われているシーンにおいても、海面で人間が飛沫をあげてバシャバシャしているところに、血糊を漂わせておけばなんかそれっぽく見える、という、「モンスターを直接映さずとも襲撃シーンを描ける」というメリットもあります。実際、この手法を使っているB級サメ映画はメッチャ多いです。
こういう、「工夫次第で、安い製作費で作りやすい」という点が、サメ映画が量産されている一端なのではないか、と思います。
- 差別化のために属性を盛りやすい
これは、割と近年になってから成立した理由です。2000年初頭頃までのサメ映画というと、一部のオリジナリティある作品を除き、基本的には「ジョーズの二番煎じ」みたいな作品が多かった印象を受けます。焼き直し感が強く、斬新さも目新しさもない、そんな作品が蔓延っていた印象。サメは海に出るものだし、不死身でもなければ、放射能や電気を纏っている事もない。内容的にも見応え的にも、「劣化版ジョーズ」みたいな作品が多かった。
しかし、みなさんご存知アサイラムの登場で、この風潮がガラッと変わります。アサイラムは、2009年に製作した「メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス」を皮切りに、次々とゲテモノ臭のするサメ映画(主にシリーズ作品)を生み出し続けました。そして「シャークネード」シリーズの大ヒットにより、この「サメに変な属性を盛ってモンスター化する」という流れは決定的となります。以降、他社もそれに倣い、次々とオリジナリティ溢れる属性を持ったサメ映画が世に放たれてきました。
↓オリジナリティ溢れる映画の例
それらは(面白いかどうかはさておき)斬新で目新しく、興味深くて、人々の心を鷲掴みにしていきます。
この、「属性を盛る」という点の凄いところは、アイデア一本さえあれば、それなりにヒットする可能性を秘めているという事。例えば、良質なシナリオや魅力的な俳優の起用で多作品と差別化を図るというのは、低予算映画にとってはかなり厳しい選択肢です。いい俳優を使うには、当然その分だけ費用が嵩みますし、良いシナリオを書けるライターは当然高い。また、仮に良いシナリオを自前で思いついたとしても、それを映画という媒体に落とし込むことはなかなか至難の業です。
しかも俳優と違って、ストーリーやシナリオの面白さというのは、宣伝がしにくいんですよね。自分で「今作は最高のシナリオです!」とキャッチコピーに書くのは論外ですし、何より知名度がないので、発信しても見てくれる人自体が少ない。
対して、「サメ自身に属性を盛る」というのは、アイデア1発で勝負ができる上に、宣伝もめちゃくちゃしやすいのは大きな利点です。「サメが幽霊になって襲ってくる!」「竜巻に乗ってサメが襲来する!」「サメが地面を泳ぐ!」などは、それだけで斬新さがありますし、パッケージの一枚絵だけで大きなインパクトを与えることができます。つまり、その分色々な人の目にとまりやすい。
低予算で作ることができ、なおかつ「サメに〇〇という特徴を持たせよう!」というアイデア一つで作品を成立させられる。これが、サメ映画の作り手が絶えない、大きな理由なのではないでしょうか。
【受け手側の視点】
とはいえ、サメ映画も商業作品ですから、作る人がどれだけいようと、見る人、つまり金を出してくれる人がいないとやっていけません。ではなぜ、これほどまでにサメ映画を消費してくれる人が多いのでしょうか。
- なんか凄い面白そうに見える
幼少期からレンタルショップに通っている、私の超個人的な意見です。B級映画(新作)コーナーを見てて思うことなんですが、「面白そうなパッケージ&タイトルの作品が少ない」んですよね。
例えば、広告宣伝打ちまくったり、有名俳優を起用しているような大作映画は、消費者の目に触れる機会がバチクソに多いので、多少パッケージデザインが終わってたり、タイトルがありふれていても、沢山の人に手に取ってもらえます。
一方、知名度皆無な低予算作品って、「タイトル」か「パッケージの一枚絵」でしか勝負出来ないと思うんですよ。このどちらかで「おっ、なんか面白そうだな」と思ってもらえないと、いかに内容が面白かろうが、多数の作品が並んでいるレンタルショップ、ないしネット配信プラットフォームにおいては、そもそも目にも留まらない、手に取ってすらもらえないんです。そして、面白そうな作品のタイトルやパッケージを考える、というのが滅茶苦茶難しいだろうということは、私のような素人にすら察するに余りあります。
その点、上述したような、ゲテモノ系サメ映画のパッケージは滅茶苦茶目立ちます。サメが地面を泳いでいる、雪山で飛び跳ねている、街中で襲ってくる、なんなら家にも出るーーこれを、簡潔なタイトルとパッケージで表現されるだけで、「なんだこの組み合わせ!? なんか面白そうだな?!」と、コロッと騙されてしまう人が続出。んで後から、「なんだこの作品?!」と、SNSにお気持ち表明するまでが様式美となっています。
ともかく、充分な広告宣伝ができない故に、そもそも手に取ってもらえる機会自体が絶望的なB級映画にとって、この「目立つ」というのはものすごく重要な事であり、これをしやすいというのは大変な利点と呼べるでしょう。
さて、サメ映画の現状に関する確認はこのへんにしておきましょう。「サメが出るなら何でも見る、という狂人が一定数いる」など、他にも理由はいくつかあるんですが、あまりここばかりに時間をかけてもいけないので。
それでは次章では、これと比較して、なぜB級恐竜映画は勢いがないのかについて、いくつかの仮説を提唱していきたいと思います。
※以下では、議論の対象を明確にするため、恐竜映画の事を「恐竜が現代に出現し、人々を襲う、いわゆるモンスターパニック映画的側面を持つ作品のこと」として取り扱います。子供向けの恐竜映画、ハートフル系、ドキュメンタリー系などは除外しておりますので、あしからず。
第4章 恐竜パニック映画がお通夜状態の仮説について
- 作るのが大変
まず、一番最初にパッと思い浮かんだのが、「恐竜のCG作るの大変そう(小並感)」です。
恐竜映画というと、1種類しか恐竜が登場しないものも多いですが、やっぱり視聴者の満足感的にも、他モンスター映画との差別化を図る観点的にも、複数種類の恐竜を用意したいところだと思うのですが、なんかCGのモデリングとかいっぱい用意するの大変そう(文系並みの感想)。
先ほど言ったように、サメ映画は工夫次第で限界までCGの使用を削ぎ落とし、それっぽく見せることが容易であるのに対して、恐竜映画はなかなかそうは行かないんですよね、恐竜が出てなんぼなんで。
そしてCGを使えば使うほど、製作費はどんどん増えていく……。
- 展開のワンパターン化
恐竜がメインのパニック映画って、かなり展開がパターン化されてしまっていると思います。そもそも、恐竜を現代に召喚する際のシチュエーション自体が、
A「遺伝子操作等のすげー科学技術によって蘇らせる」
B「無人島とか地下とかの秘境にひっそり生き残っていた」
の2パターンくらいしかないので、そこから広げられる展開にも限度があるわけです。
当然、これ以外のパターン(バーチャルゲーム、タイムホールなど)もあるにはありますが、まあ大体がこの2パターン、かつ似たような展開の作品が多いのは事実です。しかも最悪なのが、この両方のパターンを、大御所であるジュラシック・パークシリーズがすでにやっているという地獄。(A→言わずもがな)(B→ジュラパ3)
そのため、「この展開どっかで見たな」「というかジュラパで見たな」となることがまあ多く、作る側も見る側も「またこのパターンか」となり、それはまあ飽きますでしょうよ。
というか、「島に行ったら恐竜が!」系映画のジュラパ3パクリ率がやばい。もう行方不明になった人を探しに未知の島に行くパターン禁止しろ。
- 差別化のために属性を盛りにくい
展開もワンパターンになるなら、いっそサメ映画みたいに、恐竜側にヘンテコゲテモノ属性をモリモリにして……という逃げが出来ない、というのも恐竜映画の辛いところ。なぜかというと、恐竜は存在自体がファンタジーそのものなので、そこにさらに核だとかゾンビだとかゴーストだとかのファンタジー要素をぶち込まれると、それはもう恐竜映画ではなくて怪獣映画になってしまうからです。
恐竜と怪獣は割と近接した概念ではありますが、視聴者側はあくまで「恐竜が見たい」というスタンスを崩してくれないので、こういった作品を恐竜映画として売り出すと、恐らく恐竜ファンがブチギレます。俺も、「恐竜映画です!」って言われて、出てきた恐竜が放射能ビーム出してたり、霊体化して襲ってきたりされたら、多分キレる。
とまあ、簡単に3つの仮説について解説してきましたが、私は恐竜パニック映画が廃れている1番の理由は、実はこの3つではないところにあるのではないか、と思っています。
その要因とは、「スピルバーグの呪縛から脱却出来たか否か」なのではないでしょうか。
というわけで、やっとここからが本題です。
第5章 スピルバーグの呪縛とそこからの脱却
ご存知の通り、サメ映画の元祖となった作品は、かの有名なスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』です。このジョーズの公開を期に、サメを主役とした作品が多く制作されるようになったということは、皆様異論のないところかと思います。
一方、恐竜映画の元祖となった作品も、これまたスピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』。もちろん、これ以前にも恐竜が登場する映画、恐竜をメインとした作品はありましたが、近年の恐竜パニック映画の方向性を決定付けた作品は、まず間違いなくジュラシック・パークでしょう。
つまり、サメ映画も恐竜映画も、巨匠スピルバーグ監督によって生み出された映画ジャンルであり、後の作り手は当然、その影響を色濃く受けている、と言っても過言ではありません。なんだこのオッサン?!(驚愕)
しかし、これはある種、呪縛のようなものでもあります。
これは映画に限らず、あらゆるジャンルについてそうだと思うのですが、そのジャンルの起こりとなった元祖と呼ぶべき作品や、そのジャンルを大きく盛り上げることに貢献した作品など、いわゆる『先駆者』の影響は非常に大きいです。そして当然ながら、それに続こうとする後続作品は、少なからず先駆者の影響を受けることとなります。
例えばサメ映画の歴史を見ると、ジョーズが公開されてからというもの、現代に至るまでそれはもう数多くのジョーズ然とした内容の作品が作られてきました。サメの危険を訴える主人公と、それを聞き入れない有権者の図。ないし、サメを食い止めようと奔走する主人公と、何も知らない、信じようとしない愚民の図。こんな構図山ほど見た気がする。
もちろん、そんな二番煎じの嵐のような状況の中でも、ディープ・ブルーなどの名作が生まれていることや、「死神ジョーズ 戦慄の血しぶき」などの、いわゆる「トンデモ系サメ映画」の走りとなる、個性ある作品が生まれていることは無視できません。
しかし、やはりサメ映画といえばジョーズだったし、他のサメ映画ときたらどれもこれもジョーズの二番煎じな無個性作品、ないし完成度の低さが目立つ残念な作品ばっかり……という状況であったようです。これはやはり、ジョーズがモンスターパニック映画のシナリオとしてあまりにも完成されすぎていたためと考えられます。
そして、この状況が現在までずっと続いていた場合、サメ映画は間違いなく廃れていたでしょう。少なくとも、ここまでの勢いを持ってB級モンスターパニック界隈を圧巻していることはなかったはずです。
それを打ち破る契機となったのが、先に紹介した、アサイラムのサメ映画第1作目である「メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス」です。
この作品が画期的だったのは、これまでのサメ映画が(出来栄えの有無はともかく)「サメは人を襲う恐怖の象徴」として描かれることが多かったのに対し、今作は「現実からかけ離れたトンデモない設定を持つサメのような何か」としてサメを描き出したことです。今作は、決して出来栄えの良い作品とは言えませんが、有識者は今作を
当時としては極めて革新的で、そのインパクトは計り知れなかった
(サメ映画大全 p105より引用)
と評するほど。それだけ今作が、サメ映画に与えた影響はすさまじいものでした。今作を皮切りに、アサイラム、そして他社からも、多種多様なサメ映画が発表され、そして「シャークネード2」の登場により、ゲテモノサメ映画が黄金期を迎えたことは、記憶に新しい方もいらっしゃるかと思います。
そして私は、このゲテモノサメ映画が量産される契機となった「メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス」の登場こそが、巨匠スピルバーグがジョーズの中で描き、その後沢山の作品がそれに続いたことで出来上がった「恐怖の象徴」としてのサメ像――すなわち、スピルバーグが生み出したサメ像に対して、サメ映画というカテゴリーが、明確に反旗を翻した瞬間だと思うのです。
ジョーズという偉大な作品に敬意は示しながらも、ただそれの模倣をしたり、ジョーズで描かれたサメ像に囚われたままの表現に終始するのではなく、サメというものをもっと自由に捉え、自在に扱い、自分たちだけのオリジナリティ溢れる作品を排出しようとする努力。すなわち、スピルバーグを否定はせずに、しかしその影響からは脱しようと抗い、必死にもがく姿勢。そんなものが、ジョーズの二番煎じに明け暮れていたサメ映画というカテゴリーを躍進させる起爆剤になったおかげで、今日のサメ映画人気があるのではないか、そう思わずにはいられないのです。
まぁ、個々の作品の出来栄えが良いかどうかは別として……。
つまるところ、私の所見では、サメ映画は現在、ほぼ完全にジョーズの影響、すなわちスピルバーグの呪縛から抜け出したと見て良いと思います。もちろん、シナリオやプロットがジョーズっぽい作品はまだまだ作られてはいるものの、一方で、主役であるサメ、ないしその他の要素が個性に富むようになりました。このおかげでサメ映画は、一見すると実に多種多様で、オリジナリティに溢れているような気にさせられ、そしてなんか面白そうな作品が多いように錯覚します。だから見たくなるし、だから人気が出る。
それでは、恐竜映画はどうでしょうか。
残念ながら、恐竜映画はこの令和の世になっても、未だスピルバーグの呪縛の真っ只中です。なんか出る作品出る作品「ジュラシック・パークで見たな」となるか「モンスターパニックにありがちな展開だな」となるか、このパターンが非常に、非常に多い。酷い作品になると、もう演出、というか恐竜の使い方が完全にジュラパのパクリやん、というゴミみたいな作品もあります。
ゴミみたいな作品の例。Amazonのあらすじには『人気シリーズを彷彿とさせるシーンにも注目したい』とあるが、正しくは『人気シリーズを彷彿とさせるシーンしかない』の間違い。
恐竜登場シーンの15割くらいは「これジュラパで見たな」となること必至のオリジナリティ皆無作品。
実際自分も、「過去に見たことあるB級恐竜映画、どんなのあったっけ?」と思って今回調べ直したんですが、殆どのレビューに「恐竜の出来は悪くないが、ストーリーが……」的な事が書いてありました。
つまるところ、恐竜パニック映画って、個性的で印象に残る作品が殆どないのです。面白いか面白くないか、出来が良いか悪いかではなく、そもそも印象に残らない。なぜなら、「かなり荒削りだけど、でもこの部分はスゲーッ!」というのがないから。
サメ映画にはあるのよ、「全体的に見れば出来も悪いし面白くないんだけど、でもこの発想はスゲーな!」となる作品が、割と。これこそが、現在絶頂を極めるサメ映画と、常に下火の恐竜映画との決定的な違いかと思います。
先述の通り、確かに恐竜映画はサメ映画に比べて、格段に「属性が盛りにくい」という欠点はあります。なぜなら、盛りすぎた恐竜は、それはもう怪獣になるから。しかしだからと言って、他作品との差別化を諦めて、ワンパ展開の作品ばかりが増えては、そりゃ界隈も盛り上がらんですわよ。
なら、このまま恐竜映画は廃れていくだけの運命なのか?
いえ、断じてそんなことはありません!
なぜなら私たちは、たった一つだけ、最近制作され、恐竜映画に革命をもたらした作品を知っているではありませんか。
そうだね、「必殺! 恐竜神父」だね。
第6章 恐竜映画の躍進――鍵を握るのは「必殺! 恐竜神父2」
さて皆さんは、「必殺! 恐竜神父」という作品をご存知でしょうか? まあ、多分ご存知かと思いますが、万が一、知らない方がいた時のために簡単に説明しておくと、『恐竜に変身する能力を持つ神父が、謎のニンジャ軍団と戦う!』というストーリーの映画です。
え? なんで神父が恐竜に変身するのかって? そりゃあ単純よ。
恐竜のヴェロキラプトル、いるじゃないですか。英語だと綴りはVelociraptorです。
対して、神父(牧師)の綴りはPastorなんですって。
Veloci“Raptor”と”Pastor”……似てますね? だからです。
……いや、んなくだらないダジャレはいいからちゃんとした理由を教えろよ、と思いました?
実話です(真顔)
ソース↓
恐竜×神父×ニンジャ カッコイイ要素をバカ正直に掛け算した映画「必殺!恐竜神父」にアーメンダブツ!
というわけで、この「必殺! 恐竜神父」という作品、もう何もかもがこんなテキトーなノリで作られた作品です。神父が恐竜になる理由もよく分からんし、なんでニンジャが出て来んのかも分からん。ストーリーは整合性もクソもないガバガバっぷりで、おまけに恐竜は着ぐるみ全開――正直、これを「恐竜映画です」って出されたら、100人が100人ブチギレるような、そんな最低の代物です。どのくらい最低かというと、↓くらいです。
どうだい、最低だろ?
そう、間違いなく最低の映画です。でも、今作は恐竜映画にとって、革新的な一面を持っているのも確かなのです。
だって、これほどまでに恐竜を自由に、好き勝手に、都合よく、思いのままに扱った商業作品が、過去にあっただろうか? いや、あったのかもしれないけど、少なくとも近年になってから、これほどのインパクトを持つ恐竜映画は作られていなかったはずです。そのあまりのインパクトに、本国アメリカでは(ほんの一瞬ですが)Amazonの人気急上昇作品で1位を獲得した実績もあるとか。
ではなぜ、これほどまでに悪ノリ感満載の本作が、ここまで知名度を上げたのか。それこそまさに、今の恐竜映画にない、強烈な個性、オリジナリティがあったからこそではないですか!
確かに人によっては、「この映画のどこが恐竜映画なんだよ」「こんなもん恐竜映画って呼ぶな」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私も最初はそう思ってた。「あ、これ恐竜映画じゃなくて悪ノリクソ映画だな」と。
しかしですよ、今の恐竜映画には、こういった作品こそが必要なのです! 「こんなもん恐竜じゃない!」と言われながらも、しかし確実にオリジナルに溢れている作品こそが。
そもそも「革新」というのは、既存の枠組みからはみ出ることによって初めて成立します。それゆえに、革新的な作品というのはいつだって、「こんなものは〇〇ではない」と言われ続けてきました。
例えば、先に挙げたサメ映画。このサメ映画に革新が起きたのは、先述の通り「メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス」の登場によるのですが、この作品だって、当時、「サメ映画と言えばジョーズ」だと思っていた人たちからすると、相当衝撃的なものだったはずです。そして、「これはサメと呼べるのか……? もはや怪獣映画では……?」と思う人も多数いたことでしょう。
もうひとつ、同じ映画から例を出すと、ゾンビの例が良いかと思います。ご存知の通り、ゾンビ映画の元祖といえば、ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」なわけですが、当時、というより割と最近までは「ゾンビはノロノロと不気味に迫ってくるものだ」という風潮が一般的でした。もちろん、中にはバタリアンに代表されるように、喋ったり元気に動いたりする奴らもいましたが、それらは異端側だったわけです。
ただ、私の覚えている限りでは「28日後…」が出たあたりで、この風潮はガラッと変わったように思います。この作品が描いた「走るゾンビ」というのが当時かなり物議を醸し、それ以降「走るゾンビはゾンビなのか」という論争が各所で激化するようになりました。かくいう私も一時期は「走るゾンビなんてゾンビじゃねぇ!」と思ってました。そのくらい、この走るゾンビが出始めた当初は、これに対する抵抗がすごかった。
でも、最近のゾンビ界隈を見ていると、もはや走るゾンビの方が主流になっています。ワールドウォーZ、ラスト・オブ・アス、新感染などなど、ゲームから映画に至るまで、どのゾンビも走ります。もはや、走らないゾンビの方が絶滅危惧種になっているくらいの勢いです。
当時は、既存の枠組みに当てはまらないがゆえに異端だとされていた作品が、のちに世間に受け入れられ、今度はその作品が新しい枠組みの基準となる。大なり小なり、ジャンルの発展というのは、この「既存の枠組み」をどんどん更新していく作業が本質なのではないか、と思う今日この頃ですが、まさに恐竜映画にも、今この「枠組みの更新」が発生しようとしているのです。
これを成し遂げる作品こそが、「必殺! 恐竜神父」なのです!
確かに、この「必殺! 恐竜神父」は、一時期一瞬だけ話題になりましたが、その後彗星の如く忘れ去られ、今ではそうそう話題にも上がりません。しかし嬉しいことに、今作、続編を製作中だそうです。正気か?
続編と言えばですよ、ターミネーター、エイリアン、そしてあのシャークネードも、一般に「1作目よりも2作目の方が面白い」とされており、この「2作目」がその後のシリーズの方向性、ひいてはそのジャンルの盛り上がりを決定付けた作品というのは、枚挙にいとまがないですよね。
つまり! 「必殺!恐竜神父」の続編が何かの間違いで大ヒットし、「こんな自由な恐竜映画もありなんだ!」と世間が気がつき、制作者側及び視聴者側の恐竜映画に対する価値観が大幅にアップデートされ、「もう恐竜が出るんなら全部恐竜映画を名乗っていいじゃん!」という空気が出来上がり、『なんか突然都市の時空が歪んでタイムホールから大量に恐竜が押し寄せてきたので、ナノマシンでサイボーグ化した上院議員が鉄拳でこれらを粉砕する』映画だとか、『現代の超技術で甦った恐竜が制御不能になって研究所を破壊し尽くしているので、同じく現代の超技術で蘇らせた宮本武蔵がエア斬殺で立ち向かう』映画だとか、もう好き勝手やりまくって全然オッケーな風潮が出来上がる事。
これこそが、恐竜映画躍進の第一歩です。
そうです、もうこのルートしかありません。私は未来視ができるので、恐竜映画が流行る可能性について1400万605通りの未来を見てきましたが、これ以外は全部ダメでした。
だからみんなで、「必殺! 恐竜神父2」を応援しよう!!!!
……まあ真面目な話、
①ゲテモノでのネタ全振りでも何でもいいんで、恐竜というジャンル自体が流行る
→②恐竜が出るなら見るぜ、という人が増える
→③恐竜を出す映画というだけである程度の興収が見込めるので、予算確保しやすくなる
→④真面目系恐竜映画も作りやすくなる
という効果もありそうな気もするので、とにかくまずは、今よりもジャンルが盛り上がること、これこそが躍進への第一歩だと真面目に思います。
そんなわけで、いちにわか恐竜好きとして、恐竜映画の躍進を心より願っております。