「どんな映画にも、きっと良い点がある」をモットーとして、主にB級映画のレビューや紹介、おすすめ等を淡々と書いてゆくブログです。

これを知らなきゃ映画好きとは言わせない! 映画好きを名乗るなら最低これだけは知っておきたい名作映画10選!

んなもんねぇよバーーーーーーーーーーーカ!!!!!!

 こんにちは、管理人のさがんです。今回は、Twitterで定期的に勃発する「○○(作品名)も知らないのに映画好き名乗らないでほしい」論争に、終止符を打ちにきました。

 この戦争を終わらせに来た

 というわけで今回は、「映画好きを名乗るなら○○は見ておかないと」などと宣う方々へ向けて、誠に稚拙ではございますがわたくしの考えを発信させていただきたく存じます。

STEP1 「好き」と「詳しい」の混同を止めてみよう!

 まず最初に言いたいのはこれです。というより、これが全てと言ってもいいでしょう。

 それでは、下図をご覧ください。


 若干ごちゃごちゃした図になってますが、書いてあることは極めてシンプルで、横軸には「好きか嫌いか」、縦軸には「詳しいか詳しくないか」をパラメータとして取った図となっています。
 さて、至極当たり前のことではありますが、この図を見ると「好き」の中にも2種類あることが分かります。そう、「好きだし詳しい」という①と、「好きだけど詳しくない」の②ですね。
 「そんなもん当たり前だろ」と思うかもしれませんが、先に述べた「○○も知らないとか本当に映画好きなの?」などということを口に出してしまうようなお方は、この超絶基本的な部分が分かっていないと言わざるを得ません。

 そもそも、この「好き嫌い」と「詳しさ」という二つの指標には、決定的な違いがあります。
 「何かを好きであるか嫌いであるか」という問題は、皆様ご存じのとおり、それを決定するのは他ならぬ自分自身であり、それ以外にはありえません。もちろん、他人の意見や感想、勧誘などが自分の意思決定に影響を及ぼす場合は多々ありますが、その場合においても、最終的に好き嫌いを判断するのは自分自身しかありえません。当然のことですが、「好き嫌い」というのは自分の感情に基づく極めて主観的な指標に他ならないからです。

 それに対して、「詳しいか否か」というのは、それを判断するのは自分ではなく他人です。いくら「自分はこれについて詳しいんだ」と叫んだところで、それを認めてくれる人がいないと、その主張は何の意味も持たないからです。そもそも詳しさという指標自体が、誰かと比べた場合に初めて測ることのできる相対的な指標に他なりません。

 つまり、自分の感情に基づく主観的な指標である「好き嫌い」に対し、「詳しさ」というのは自分の主観が完全に及ばない、ある意味では客観的な指標と呼ぶこともできるかと思います。

 さて、ではここで「○○も知らないとか本当に映画好きなの?」「○○(作品名)も知らないのに映画好き名乗らないでほしい」という発言に戻りますと、これはあまりにもナンセンスな発言であるということが分かります。すなわち、「映画が好き」という相手の主観的な発言に対し、「どの程度詳しいか」という客観的な指標を持ち出してきて測ろうとするという、とんでもなく的外れなことをしているからですね。

STEP2 単なる「好き」を名乗ることに、条件を求めるのを止めてみよう!

 STEP1でお話しした通り、「好き嫌い」というのは極めて本人の主観的な判断に基づくものであり、他人のあなたが決めてよいものではありません。これが例えば、「俺マジでSF映画マニアでさ、もうとにかく詳しいんだよね。地元じゃ右に出るやついなかったわw」とおっしゃる方に、あなたが「そっか、じゃあスターウォーズシリーズのことはどう思う?」と聞いたのに対して「あんなクソ古い映画見たことないわwやっぱ時代はマーベルっしょw」などと返された場合には、それはもうそいつの首につないだロープをBB-8に引かせて市中引き摺り回しの刑に処した後に宇宙葬キメればよいかと思いますが、そのような行為はあくまでも相手が詳しさという指標を持ち出してきた場合のみにするべきです。詳しさという客観的な指標を相手が提示してきたときに初めて、他人であるあなたに意見する権利が生まれるのです。

 何度も申し上げているとおり、好きというのは極めて主観的な指標であって、それを決めるのは他人ではなく本人の心次第なのでありますから、本人が好きと思えば好きなのです。そこに他人がズカズカと入りこみ、あまつさえ好きであるための条件を設けようとする、などということはちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ません。

 ここまでのお話で分かるように、「好き嫌い」とは自身のみの判断に基づく主観的指標でしかないので、それを公言することは(TPOを充分わきまえた上でなら)自由であるべきです。よく、「好きな映画が一本でもあれば、映画好きを名乗っていい」などという、一見綺麗ごとに見える言説を見かけることがありますが、これは綺麗ごとでもなんでもなく、そのくらい「好き」と公言するハードルは下げておいた方が良いのです。

 例えば、初めて映画館で映画を見た人が「感動した。俺もしかしたら、映画が好きかもしれん」と言ったのに対して「はぁ? その程度で映画好き名乗んなよ過去の名作も知らんくせに」と言うのと「そうだ! お前は映画好きの素質があるんだ! 他にも素晴らしい作品はたくさんあるぞ! さあ、もっと映画に触れよう! パワー!」と言うのと、はたしてどちらが人間的にも界隈的にも健全で実りがあるか、というお話なのでございます。映画に興味を持ち始めた新規の人が、「うわ、最低限知っとかなくちゃいけない作品を知らないと、好きっていうだけで白い目で見られるのかよ、こっわ……」と思われるのは、良いことではないでしょう。

 それに、改めて先ほどの上図を見ていただければ分かるとおり、そのジャンルについて興味がなく、何も知らないフラットな状態の人(「最初」地点)が「好きだし詳しい」の①の領域に辿り着くには、基本的には必ず「好きだけど詳しくない」という②の領域を経由する必要があることが分かるでしょう。まあ稀に「嫌いだけど詳しい(一部アンチ)」という③にいた人が、何かのきっかけがあって好きに転換する、というパターンもあるにはあるのですが、まあかなりレアケースだと思うので置いておきましょう。
 さてそうであれば、おそらく①「好きだし詳しい」を自負しておられるあなたも、かつては②「好きだけど詳しくない」の領域に必ずいたはずです。そのかつてのあなたが、「お前この程度も知らんくせに映画好きとか言ってんのか」と言われたとして、どうです? 気持ち良いでしょうか?

STEP3 人に条件を求める前に、自分のコミュニケーション能力を磨こう!

 さて、ここまで読んでもまだ「いやでも○○さえ知らんくせに映画好きを名乗るのは許せん」と思われているのであれば、もはやその原因はあなたのコミュニケーション能力不足にある可能性があります。

 例えば映画好きを公言する相手に出会ったときに、コミュニケーションが上手な人は「映画好きなのか。どのくらい好きなのかな、自分の好きなジャンルと被る領域はあるかな、一緒に盛り上がれる話題はあるかな」といろいろ考えて、相手のレベルを探りながらコミュニケーションをとっていくものです。しかしあなたの場合、もしかすると「おっ、映画好きってことは、当然○○は知っているだろうから、俺のしたい話にもちろんついて来られるはずだ」という自分本位な思考が先行し、相手のレベルを測る、話しながら話題を探るという作業をすっ飛ばして、とにかく自分が話したいこと優先でコミュニケーションをとろうとはしていないかを、今一度ご自身に問いかけていただきたいのです。相手が映画好きと聞いただけで、「自分の話したいことしか話さないモード」「自分の映画知識をひけらかしたいモード」に脳のスイッチが切り替わっていないか、今一度問いかけていただきたいのです。

 断言しますが、それはもはやコミュニケーションとは呼べない独りよがりのオナニーであり、あなたが相手にするべきは映画好きではなく、壁です。

 壁に向かってやっててください。

 あ、チラシの裏とかでも結構です。

おわりに

 というわけで、長々と持論を展開してきたところですが、とにかく言いたいことは「好きと詳しいの混同を止める」「他人が好きと公言することに対して、口出しをしない」ということです。そう、詳しいかどうかについてならともかく、他人が好きといったことに対して、それを否定する権利はあなたにはないのです。

 別に腹の中で何を考えていても構いませんが、とにかく、他人の好きという発言を妨げたり、ましてや好きを公言する人を馬鹿にするような言動は到底許されるものではな

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アッ(絶命)

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