「どんな映画にも、きっと良い点がある」をモットーとして、主にB級映画のレビューや紹介、おすすめ等を淡々と書いてゆくブログです。

【茶番】B級映画研究部 活動日誌 ~クソ映画はなぜ生まれるのか~

某日、某高校、B級映研部 部室にて……

叢雨 藍
──解せないわ。
荒都 素晴
解せない。全く解せないわ。ねぇ、素晴?
あの、何が……?
我が校、B級映画研究部の部長である、私の頭を持ってしても、どうしても理解出来ないのよ。
 
 
──いったいなぜ、この世にクソ映画が生まれるのか。
クソ映画、ですか?
そう、クソ映画よ。
古今東西春夏秋冬、東西南北四六時中、この世では人知れずクソ映画と呼ばれるものが生まれ続けているわよね……でも冷静に考えて、おかしいと思わない?
何がです?
いやだって。普通、脚本書いてる途中で気付くでしょう?
 
あ、これクソだな、って。
は、はぁ……
 
まあでも、小説とかもそうですけど、何か書いてる時ってテンションが上がって、ある種正常じゃない状態になっちゃうから、自分じゃ気付きにくい……とかでは?
書いてるときは「これはいいのが出来るぞ!」と思ってても、いざ書き上げてみたら「うーん……」何てこと、往々にしてあるじゃないですか。
なるほど、確かにね。でもそれなら、書き上げて眺め直してみた段階で「あ、これダメだな」って気付くでしょう、普通。
百歩譲って、本人は気がつかなくても、それこそ映画なんて複数人で作っているんだから、誰か冷静な人が一人くらいは気付いて然るべきじゃないのかしら?
いやまあ、そうですけど……
ほら、そこはやっぱり立場上思ってても提言できないとか、スケジュールの都合上、手直しする時間がないとか、制作側にも色々都合が──
そんな都合、我々消費者には関係ないのよ! 楽しみにしながら見始めたのに、制作側の都合でゴミを押し付けられるこっちの都合も考えてよ!
 
というより、どうして素晴はそんなに製作側の肩を持つわけ?
いや、別に味方しているつもりはないんですけど──ほら、私、趣味で小説書いたりするので、なんとなく作り手の気持ちも分かっちゃうといいますか。やっぱり作品って、完成させること自体がすごいことだと思うので。
ふぅん……なるほどね。
 
でも私に言わせれば、そんな事情なんて全部甘えよ。そもそも、最初の脚本を書く段階で、そんなクソ脚本を書き上げている時点で擁護のしようがないわね。
だいたい、良作の脚本を書くのは確かに難しいかもしれないけれど、駄作の脚本を書かないようにすることなんて簡単でしょ。文字さえ書ければ全人類、誰にでも出来るわ。
むっ……!
じゃあ逆に聞いてみるんですけど、先輩はどうすればクソ映画が生まれなくなると思うんですか?
愚問ね。そんなの火を見るより明らかなことよ。
ずばり、すでに世に放たれてしまった駄作を分析して、その逆のことをすれば良いのよ!
逆?
そう。人間良い作品を作ろうとすると、凡人はすぐ良作の模倣をしたがるけれど、それじゃあ粗悪なコピー品が出来上がるに過ぎない。実は発想が逆なのよ、逆。
良作を分析するのではなく、駄作を分析し、その駄作が踏み抜いている地雷行為を徹底的に避ける。これだけで、少なくとも駄作になるのは回避できるのよ!
例えば?
そうね。なら今回は、私が出会ったことのある映画の中でも最低最悪の作品の一つ、デビルシャークを例に考えてみましょう。

↓最低最悪の作品の一つ

この作品に対してのレビューも過去に上げているので、よければこちらも読んでみてね。
さて、宣伝も済んだところで。まずはおさらいとして、デビルシャークのダメな部分を挙げてみましょう。
正直、あらゆる要素が全部ダメなんだけれど、特に酷かった部分を挙げるわ。それはこれよ。
  • 主役のはずのサメが極端に出てこない
  • 垂れ流しシーンが多くテンポが悪い
  • 展開がワンパターン
  • キャラクターに魅力がない
  • やたらとゲロを吐く
 
さて、こう並べれば、もう駄作を避けるための術が見えてくるわよね?
と、言うと?
つまり、サメを要所要所でちゃんと登場させ、無駄な垂れ流しは避けつつカットなどを用いて見やすさを心がけ、展開がワンパターンにならないよう配慮し、キャラクターを魅力的に見せる工夫をこらして、やたらとゲロを吐かせなければ間違いなく面白い映画になるということよドヤァ!
は、はぁ……
なるということよドヤドヤァ‼︎
2回もいらないです。
でもそれって、至極当たり前のことでは……
その当たり前すらできていない作品が、この世に溢れているから言ってるの!
まあ、確かに……でもそれなら、じゃあ先輩ならその反省を生かして、どんな脚本を書くっていうんですか?
ふふふ……なら、今回は特別に、私の考える最強の映画の脚本を披露するわ。反面教師として設定した作品がデビルシャークだから、今回はサメ映画で考えてみるわね。
サメ映画というと、頭増やしてみたり陸に上がって来たり、幽霊にしてみたり家に出させてみたりと、昨今はとにかく「サメに何らかの個性を持たせる」ことに躍起になっている節があるけれど、私に言わせればそんなの安直すぎるわ。そんな目を引くだけの部分じゃなく、もっと中身で勝負すべきよ。
だからあえて、サメはシンプルに、大型のホホジロザメをメインにするわ。
えっ、ホホジロザメですか?
でもそれだと、ちょっと普通すぎるんじゃ……
大丈夫よ。サメが普通な分、キャラクターの魅力をしっかりと出すことに力を割くの。
例えば──主人公が、警察なんてのはどうかしら。
警官ですか?
そう。ある日、ビーチで死体が発見され、主人公は警察の立場から、それがサメの仕業だと気がつく。そこからストーリーが始まる、何ていうのがいいと思うの。
なるほど。
そして主人公は、サメの被害の拡大を防ぐため、ビーチを閉鎖するよう市長に要請する。
ふんふん……え、市長?
でも市長は、夏の書き入れ時にビーチの閉鎖なんてあり得ないとその要求を突っぱねる。でもその結果、また新たな被害者が出てしまうのよ!
(………なんか)
そうやって、映画の前半はあえて、サメの出番は少なめにして、キャラクター同士の衝突をメインで描きましょう。主人公1人じゃ寂しいから、例えば海洋学者、それからサメハンターが仲間にいてもいいわね!
(この脚本………)
こうすることで、キャラクターの魅力を存分に引き出すの。それと共に、サメをあえてチラ見せだけしておく事で、後半にサメがその全容を表した時の盛り上がりを確保する、というわけ!
どこかで見たことある気スピルバーグの匂いがするような……)
それでついに、主人公たち3人は市長からの要請を受けてサメ狩りへと──
あの、先輩。
何? 今、いいところなんだけど?
その脚本、もうタイトル決めてます?
タイトル、か……
…………
 
ジョーズ。
ジョーズじゃねーか。
 

うーん……やっぱり面白い脚本を書こうとすると、どうしても名作に収束しちゃうわね。
そういう問題じゃないと思います!
 

to be continued…

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